第一に、ドイツ・ワイマール憲法の家族条項および両性の平等条項に関する当時の学説を検討した。社会権への関心は高いものの、人権条項は立法者拘束を考えていなかったため、家族法の状況には無関心であった。女性運動との関連や、ロシア革命への反感など、D.Schwabの指摘を裏付けることはまだできず、今後の課題となった。第二に、ドイツと日本の比較にオーストリアを加え、第二次世界大戦直後の改革期の比較をした。オーストリアではワイマール憲法に類似したケルゼンの憲法草案に家族保護条項が見出せるものの、人権条項そのものが未成立であった。ドイツ・オーストリアは、第一次世界大戦後、共和制に移行し、かつ女性参政権が確保されたが、前者には家族保護条項があり、後者には人権条項が欠落していた。日本は、第二次世界大戦後、国民主権に移行し、同時に女性参政権が成立した。このような歴史的背景の違いにもかかわらず第二次世界大戦後、いずれの国においても、家族関係における女性の権利を求める動きが活発になった。この戦後改革期における、女性の家族法への挑戦は、三国それぞれに異なる結果を生み出した。オーストリアでは、憲法上も家族法上も改革は成功せず、忘れられていった。西ドィツでは、ワイマール憲法の克服を意図する女性の働きにより、憲法上の両性の平等条項に進展はあったが、家族保護条項は維持され、家族法改革も実現しなかった。日本では、憲法および家族法いずれにおいても改革が実現した。これらの違いは、憲法の家族条項の存否およびその内容とも関連し、かつ占領状況の違いなど、多角的な分析が必要だと思われる。この視点を踏まえ第三に、24条の制定過程および戦後の判例研究を、若干、進めた。ドイツ・オーストリア・日本の比較という視点から、女性の人権と憲法の家族条項の関連を問う作業の重要性は明らかになったが、今後、より実証的な検討が必要である。
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