2001年度は中ソ関係が中華人民共和国建国初期、緊張を孕みながらも、友好関係を保っていた時期から対立が深まるプロセスについて研究したが、2002年度は中ソ関係が敵対から和解に向かうプロセスがどのようにして進められていったかについて、検討を加えた。特に、1980年代、ソ連軍のアフガニスタン侵攻によって中断していた中ソ間の外務次官級の会談が再開される過程については、これまで解明されていなかったが、中国の外交責任者の回想から、〓小平のイニシアチブが働いていたことを明らかにした。1982年夏、〓小平が関係者に対し、ソ連にシグナルを送り、中ソ関係の大きな発展を勝ち取らねばならないと指示した、というのである。中国共産党は、1982年9月1日、第12回党大会を開き、独立自主の対外政策を打ち出すのだが、これは、それまでのソ連主敵論からの大きな転換であった。党大会で中ソが和解に向かう可能性がある、という報告が読み上げられたが、それ以前に両国の外交担当者の接触が行われて、次官級会談の再開の合意ができていたことが明らかにできた。もちろん、これで根深い中ソ間の懸案が一挙に解決したというわけではなく、長い和解に向けての交渉が行われていくのであるが、対決から和解に向かう転機については、中国側の事情はわかってきたように思う。2003年度は研究の最終年度にあたるので、対決から和解に向かうソ連側の要因について検討したうえで、本研究課題のまとめを行いたい。
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