平成13年度においては、主に文献・資料の収集とその分析検討を試みた。特に、第二次文献としては、日米安保関係、冷戦期の核戦略に関わる書籍や論文を収集し、分析を試みた。また、第一次資料としては、1950年代の新聞資料の縮刷版を読み込み、重要な事実を収集し、現在整理を行っている。2001年の8月初頭から、約一ヶ月間、他の科研費によってイギリスのPublic Record Office(英国公文書館)に滞在し、岸政権期に日英間で試みられた原子力協定の成立経緯や、日本政府によるイギリスからの原子炉購入、そして、イギリスの原爆実験に対する日本政府や日本の市民による抗議がなされた経緯と、それがイギリス政府の政策に与えたインパクト、に関わる外交資料を中心に渉猟した。イギリス滞在中は、London School of Economics and Political Scienceの日本外交史研究権威であるIan Nish教授とたびたび会合し、意見交換を行った。加えて、近年公開がすすんできた当該時期の日本外務省外交資料も、外交史料館において入手し、分析を試みた。 上記の資料収集と分析を通じて、暫定的に解明されつつあることは、岸政権が、決して核兵器実験に対して、真剣に抗議を行っていたわけではなく、むしろ、国内的な反米・反核ナショナリズムに対する政治的なジェスチャーとして抗議を行っていた側面が強いことであり、また、そのような岸政権の態度は、イギリス政府によって看破されていたため、イギリスの核兵器開発政策には、大きな影響を及ぼさなかったことである。さらには、日本政府は、英国からの原子炉購入において、軍事・民生両用型の原子炉を購入しようとしており、しかも、プルトニウムの再処理について日本国内での再処理を目指して、それが軍事的に利用されることを懸念する英国政府との間に対立があったことも、重要な発見であったと考える。 なお、当初、英国より帰国後の夏季休業期間中に、米国のNational ArchivesおよびNational Security Archivesにおいて、日本と核兵器の関係についての第一次資料を渉猟する予定を立て、準備をしていたが、周知のごとく、帰国直後の9月11日に同時多発テロが勃発し、米国渡航は断念せざるを得なくなった。 そのため、当初、渡米経費として計上していた予算のほとんどを、刊行の進められてきた日米外交・防衛・軍事関係に関する資料集の購入にまわしたことを、付記しておく。
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