本年度は、アルゼンチン労働運動がカトリック教会といかにかかわってきたかを、アルゼンチン労働運動の歴史を跡づける作業のなかで検討した。その結果、1919年1月におこったいわゆる「悲劇の1週間」とよばれる労働運動に対する弾圧の際には、カトリック教会は伝統勢力と連携して労働運動を糾弾する側に立っていたこと、そうしたカトリック側の姿勢に変化が生じて労働者との関係が深まるのはペロン大統領時代(1946-55)であること、そして、66年にはじまる軍政期には教会は、革新的カトリシズム(解放の神学)派と保守派に二分され、前者がその行動を抑制されたのに対して、後者は軍政との協調を図ったことなどを確認した。なかでも、軍政期に体制協調姿勢が主流を占めたことは本研究とかかわる重要な点と思われる。というのは、チリやブラジルなどの教会と異なり、軍部の人権抑圧に協力したとして80年代以降の民政移管後にアルゼンチンの教会は批判にさらされ、名誉回復のために、社会問題への取り組みを活発化させたとも考えられるからである。ここに、新自由主義政策が生み出した貧困や失業の増大という弊害に対して教会が批判的態度を打ち出した一因があるといえよう。一方、労働者は新自由主義の最大の犠牲者という認識から、こうした教会の態度を好感し、ここに両者が共闘するひとつの素地があった。このような認識に基づき、本年度は、1980年代までの労働運動の歴史を"Organizaciones sindicales y Relaciones Laborales(1914-83)"(近刊)で検討し、軍政期における教会が民主化後の姿勢といかにつながるかについては、現在別稿を準備中である。
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