2001年12月、アルゼンチンでは大衆の反政府デモがすさまじい高揚を見せ、遂にデラルア大統領が辞任に追い込まれた。この政治的社会的混乱は2002年に入ってから一層激化したために、本年度の前半には本研究の一部としてこの混乱の分析に力を入れた。それは、この政治危機を前に、カトリック教会が政治の表舞台に登場したからである。具体的には、カトリック教会はイニズス会のベルゴグリオ大司教の指導の下に、国連開発計画(UNDP)と協力して、「社会対話」を大々的に推し進め、社会的融和を図ったことである。その際、教会は政治的不安定を招いた一因が90年代の行きすぎた新自由政策にあると見なし、その是正を目指した。また、「社会対話」には労働運動の指導者の多くが参加したために、教会と労働運動による新自由主義反対のための新たな連帯の可能性も高まったのだった。残念ながら、「社会対話」はその後参加組織の間で対立が激化し、期待した成果を挙げるに至らなかったが、それでも、アルゼンチンの危機に関するシンポジウムに出席した際の発言要旨と危機そのものを新自由主義政策(それは外交的には親米路線に他ならない)への反発として捉えた論文を公刊した。また、一昨年来続けてきたアルゼンチン労働運動に関する論文についても、今年度前半は若干の手直しを行い、後半に漸く『アルゼンチン史、20世紀第9巻』(スペイン語、アルゼンチン歴史学・学士院、ブエノスアイレス)の一部として上梓できた。その後は1990年代の後半における教会と労働運動との関係の分析を進めた。とくに新自由主義的な労働法の改正を目指した当時のメネム政府に反対して、一部の労働運動指導者は、カトリック教会に支援を求めていたので当時の労働界・政府・教会の関係を中心に分析を進めている。
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