1.アメリカの外交資料である『合衆国の対外関係』(FRUS)シリーズの関係部分、ケネディ・ジョンソン両大統領図書館とワシントンの国立公文書館の資料(2002年3〜4月に収集)、および関連図書の閲読をつうじ、1960年代の民主党政権が第二次ベルリン危機やキューバ危機にかかわらず、長期的な視野にたって東西交流を進めたこと、キューバ危機を転機に進んだ対ソ・デタントが東西交流に好ましい環境を形成したことを明らかにした。とくにジョンソン政権時代(63-69年)には、ヴェトナム戦争の激化にかかわらず、63年以前の米ソ間の協定数を上回る数の協定を結び、対ソ関係の着実な発展に貢献した。 2.この成果の一部を、編著者として刊行した『戦後アメリカ外交史』(担当:序章、第二・第三章、終章)に反映させることができた。とくに第二・三章で、アイゼンハワー政権が始めた東西交流をその後の歴代政権が継承、拡大したこと、ただしカーター政権がソ連のアフガニスタン侵攻(79年)に抗議し、対ソ文化交流協定の更新を拒否したことを指摘した。カーターの措置はアメリカがそれまでにあげていた好ましい成果に照らすと、賢明なものではなかった。
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