産業革命前のイギリス繊維工業における地域間の競争力要因は多様であるが、研究の現段階では、各地域における産業的モラルエコノミーの在り方とその克服の問題、生産者の製品を市場へつなぐ回路の問題、特にそれを担う商人が総合商人であるか専門的商人であるか、消費市場の動向を生産に迅速に伝えられる商人なのかどうかという問題が、重要であると考えられる。まず、イングランド西部の毛織物工業では、ジェントルマン織元と家内生産者の社会的・文化的断絶が大きく、家内生産者の産業的モラルエコノミーが根強い一方、織元が治安判事を兼ねることによって両者の対立が激しく、また毛織物市場をロンドンの代理商と総合的商人に依存していたため消費市場の動向への対応に遅れ、紡績機導入と工場制度の成立は容易に進まなかった。これは、ランカシャー綿工業が、紡績部門における産業的モラルエコノミーをいち早く克服し、またリヴァプールを通じて新市場の動向に対応しつつ、18世紀末には紡績業者の自由競争=ポリティカルエコノミーを実現して紡績工場の設立に向かったのと対比される。一方、産業的モラルエコノミーの焦点をなす原料着服について検討したが、家内生産者にとっては原料着服も労働慣行上の役得perquisiteであったのだが、織元および為政者は16世紀以来その禁止立法を繰り返してきた。16・17世紀には着服した原料の「弁済」satisfactionで解決したが、1749年以降は、原料所有権の明確化を背景に、直ちに窃盗として刑事犯罪とされたのである。なお、18世紀後半には綿工業と競合した梳毛工業地帯で特に禁止立法が強化されている。また輸出向けであれ、国内市場向けであれ、決定的な重要性をもったロンドン毛織物市場とロンドン商人については、その前提としてロンドン史研究の一般的状況をサーヴェイし、層の厚い研究状況を整理した。
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