本年度は第1に大都市型産業集積の形成を促した制度的諸条件の一つである中等技術教育機関(具体的には工業学校)の役割に関する研究の成果として、論文「戦間期における工業学校卒業生の就職・移動・昇進-大阪市立都島工業学校を事例に-」を刊行した(裏貢「研究発表」参照)。 本論文では大阪市立都島工業学校を事例として、同校卒業生の就職先、就職市場の動向、就職に際しての学校の役割、卒業時における卒業生の職業生活に対する期待、機械科卒業生の移動実態、昇進・キャリア形成の実態と自営へのルートなどが分析検討された。その結果、同校教員は就職先の開拓に努め、卒業生に対して安易な移動を戒めたものの、戦間期を通して卒業生の移動が止むことはなく、また戦間期の大企業では工業学校卒業生を全体として技師-枝手といった技術者の系列から職工-職長-現場覧督者といった技能者の系列に位置づけることが主流になっていくなかで、昭和恐慌後も技手-技師になりえる技術者候補を輩出しえた都島工業学校は全国の工業学校のなかでもやや特異な位置にいたことなどが明らかになった。 第2に都島工業の夜間部(発足時の名称は附属工業補修夜学校)、大阪府立西野田職工学校、同今宮職工学校卒業生の動向についても調査を進めた。とくに附属工業補修夜学校については、大阪市立都島工業専修学校校友会編『会誌創立20周年記念号』(1929年刊行)などの貴重な基本資料を入手することができ、同校における夜間教育の実感解明について大きな手がかりをえることができた。できれば今後とも大阪高等工業学校を頂点とする戦前期大阪の階層的に編成された技術者供給構造の変遷を明らかにし、その動きと産業集積の形成および中小企業の技術向上の関係を検討していきたい。
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