本研究では、第1に1930年代から戦時期にかけての機械金属工場の集積、具体的には東大阪市高井田地区における産業集積の形成過程、第2にそうした大都市型産業集積の形成を促した制度的諸条件の1つである中等技術教育機関(工業学校)の役割について研究を進めた。 その結果、1930年代から戦時期にかけて高井田地区における新規創業ならびに他所からの転入を促した諸条件として、道路・用地等インフラ整備、企業者・起業者間の濃密な人的ネットワーク、発注工場である拠点企業の役割、機械商社の機能などがきわめて重要であることが明らかとなった。 さらに戦間期に全国最大規模の生徒数を誇った大阪市立都島工業学校については、同校卒業生の就職先、就職市場の動向、就職に際しての学校・教員の役割、卒業時における卒業生の職業生活に対する期待、機械科卒業生の移動実態、昇進・キャリア形成の実態と自営へのルートなどを検討した。その結果、同校教員は卒業生の就職先の開拓に努め、卒業生に対して安易な移動を戒めたものの、戦間期を通して卒業生の移動が止むことはなく、また戦間期の大企業では工業学校卒業生を全体として技手-技師といった技術者の系列から職工-職長-現場監督者といった技能者の系列に位置づけることが主流になっていくなかで、昭和恐慌後も技手-技師になりえる技術者候補を輩出しえた都島工業学校は全国の工業学校のなかでもやや特異な位置にいたことなどが明らかになった。
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