研究課題
基盤研究(C)
1.20世紀初頭には、シアトルを中心とする合衆国北西部の鉄道において、日本人労働者による賃上げストライキが発生した。また1906年には、600-700人の組合員を擁する日本人労働組合がシアトルで設立された。この組合は経営者の反発や白人労働組合の無理解のために発展できず、その後の不況の中で活動を停止した。指導者の一人であった佐々木勝成によって、1915年に同じ日本人労働組合という名前の組織が設立されたが、この組合は1906年設立の旧組合とはかなり性格が異なっており、真正の労働組合とは言い難い。しかし、佐々木勝成とこの組合が日本人労働者の地位の向上、白人労働組合との融和のために努力したことも事実である。2.1910年代末から1920年代初頭にかけては、日本人社会の側の努力とワシントン州の白人労働運動における革新派の勢力拡大によって、日本人移民と白人労働運動との関係は著しく好転した。とはいえ、日本人労働者の立場はなお微妙であり、ストライキなどの問題が生じた時には、日本人労働者の多くが会社と組合との板挟みになって苦しい立場に追い込まれた。3.1920年代に革新派の指導者が失脚すると、ワシントン州の白人労働組合内に排日の気運が復活した。1924年には一部の製材所で日本人労働者の追放運動が発生した。このことは、日本人社会を失望させた。ワシントン州外国人土地法やいわゆる排日移民法の制定への反発から、日本人社会の一部には反米的、国粋主義的な言論も見られた。4.サンフランシスコ労働運動の政策はシアトル労働運動と異なっていた。多くの点で両者は対立していた。それは日本人労働者への対応においても同様であった。サンフランシスコ労働運動の指導者たちは、一貫して日本人労働者を排斥していた。
すべて 2005 2004 2003 2002
すべて 雑誌論文 (8件)
岡山大学経済学会雑誌 36巻4号
ページ: 155-166
Okayama Economic Review Vol.36, No.4
岡山大学経済学会雑誌 35巻4号
ページ: 51-63
Okayama Economic Review Vol.35, No.4
岡山大学経済学会雑誌 34巻4号
ページ: 25-33
Okayama Economic Review Vol.34, No.4
岡山大学経済学会雑誌 33巻4号
ページ: 55-66
Okayama Economic Review Vol.33, No.4