2年間の研究成果は、学説史の考察と史料調査に基づくケーススタディ、およびそれらから導き出される「環境史における初期工業化期(19世紀前半)の位置づけ」に関する仮説の3点に集約できる。 (1)学説史的検討は、18世紀後半/19世紀前半のエネルギー転換をめぐる論争を中心に考察し、その成果の一部は社会経済史学会第70回大会の共通論題報告のコメントとして発表された。 (1)化石燃料への転換を、薪炭不足に対する対応として技術論的に解釈する所説は退けられた。 (2)それに代わってSiemannからは「エコ革命」と表現され、「自然・労働の資源化」「至福の世俗化」「成長概念の浸透」「実践的教育の徹底」「生業合理性から市場合理性への日常的な自然との付き合い方の変化」など経済社会の深部からの漸次的変化の一つの現れと捉える所説が登場した。 (3)東ドイツ学界の動向も簡単に追求し、その先行性と市場・住民運動の機能不全を指摘した。 (2)実証研究では、「ドイツ最古・最大」の環境運動と呼ばれる1802/03年バンベルク・ガラス工場闘争に関するの史料調査の成果をまとめた。 (1)18世紀末に創建された病院が立地した事情もあって、医者の小冊子と雑誌・新聞論文を通じた科学論争をはじめ、裁判記録、市民嘆願書、調査報告など多様な史料が伝来しており、その検討から闘争の経緯・結末の克明な再現が可能であった。 (2)この時期の環境闘争が、絶対主義や官房主義のような鍵概念(トップダウン型の意思決定)では読み解けない複合的な性格を示しており、「隣人権(私法)」「ポリツァイ権(公法)」の峻別に基づくのではなく、流動性を象徴するかのように、企業家・市民の言い分の中間を取る裁定が行われて「法による調整」(Radkau)を基調とする「ヨーロッパ特有の道」の特質を確認した。 (3)19世紀前半ドイツの環境運動は、市民・地方政府の連携のもと健康・財産権の保護と産業発展との両立期と理解できる。それは、19世紀後半以降の化石燃料の大量燃焼と重化学工業化期に、企業の事前認可制が確立し、認可権(公法)と損害賠償権(私法)が峻別され、またルール地方に代表される工業地域形成の中で「汚染も繁栄の礼服」と捉える諦念が支配的となる時期からは、環境史上はっきりと一線を画する。
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