『賃金センサス』には、「学校卒業後直ちに企業に就職し、同一企業に継続勤務している労働者」と定義される「標準労働者」の続計が載せられている。この概念は、私たちの社会がどのような職キャリアをもって「標準」とみなしているか、そうした社会の「常識」を照らし出している。そによれば、就職とは、学校を卒業するまさにその時点においてある特定の会社に就くことを決める、そうした1回限りの選択に他ならない。こうした社会の「常識」は、いつ、どのようにして、そしてなぜつくられてきたのか。 本研究では、このような問題意識に基づいて日本における労働市場の歴史的な発展のプロセスについて、企業の採用管理の果たした役割に注意しながら、実証的な検討を行った。その主要な成果は次の通りである。 第1に、日本における新規学卒市場の制度がどのような論理に基づいて形成されたかを、戦間期の員市場の実証的分析を通して検討した。その結果、当該期に企業と学校の制度的なリンケージが形成されたことの背景には、「教育的な」情熱に支えられた学校当局の組織的な働きかけがあったこと、それに対して、企業は主体的な戦略を持ってその過程をリードしたというようよりは、学校の働きかけに受動的に対応した側面が強かったことを明らかにした。第2に、戦後日本の大企業におけるブルーカラー労働者の定期採用方式の形成プロセスを実証的に解明し、さらに八幡製鉄所の詳細なケース・スタディを行った。これまで、このテーマを正面から取り上げた研究は存在しない。にもかかわらず、多くの研究者は、定期採用慣行の形成を、基幹的な労働力を囲い込むことで企業封鎖的な労働市場の形成をめざす、企業の主体的な戦略の結果として捉えてきた。これに対して、本研究では、定期採用方式の確立をもたらしたものは、変化する労働市場構造への企業の適応行動であり、それは外部環境への受動的対応という側面の強いものであったことを明らかにした。
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