本研究は1920年代を中心とする時期を対象に、国内米穀市場の展開過程を、(a)国内の米穀産地で展開する産米改良の実態、(b)国内米穀市場に参入する朝鮮米の位置づけ、(c)第一次大戦期に進む米穀輸送の変貌、の3点から解明することを課題とする。まず、本課題に実証的に接近するため資料調査・収集を進めた。主な収集資料は、(a)については国内の主要米穀産地である東北地方(秋田県・山形県)、東海地方(愛知県・岐阜県・三重県)、中国地方(鳥取県)、九州地方(福岡県・大分県)等における産米改良に関係する県庁文書や、関係団体等が刊行した諸資料、(b)朝鮮米取引が活発な阪神市場を対象に大阪堂島米穀取引所、それと比較する意味で東京深川正米市場、および朝鮮米を国内に送り出す東アジア地域レベルの穀物(米・小麦・雑穀)貿易に関する諸資料、(c)『大日本帝国港湾統計』ほか国内米穀産地と主要消費地の港湾統計等の輸送関係資料である。これらの収集資料を分析し課題の解明を進めた結果、(a)については、各産地の産米改良事業の展開と限界について検討し、商品化促進の前提となる産米の規格化・標準化の実態について解明するとともに、その限界として農法の制約や輸送条件等の存在、(b)阪神市場における朝鮮米の流通と国内産米との競争のあり方について検討し、また1920年代には北米からの小麦・小麦粉輸入を含めて、朝鮮米を日本国内に送り出す複層的な東アジア地域内の穀物貿易システムが存在したこと、(c)遠隔産地から消費地に至る米穀輸送が、第一次大戦期の船舶逼迫を契機に、汽船輸送が後退して鉄道輸送に決定的に転換したこと等を、それぞれ実証的に明らかにした。以上の作業から、東アジア-日本国内-国内消費地・国内産地の、米穀をめぐる重層的な市場圏の存在を確認した。
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