元素の同位体組成は、様々な物理化学的反応に応じて変化する。これを利用して、構成元素の同位体組成から、試料の形成過程や経てきた環境などの情報を引き出すのが安定同位体地球化学である。最近では、鉄や銅、ニッケルといった遷移金属を用いた安定同位体地球化学が注目されている。特に、鉄の同位体組成が、生命活動誘起過程(Biologically Induced Process)によって大きく変動される可能性が示唆されてからは、重元素同位体組成を新たなバイオマーカーとして活用する試みも現れている。しかし、遷移金属がどのような機構で大きな同位体分別を受けるかについては理解が遅れている。本研究では、鉄および亜鉛に注目し、生体試料について同位体組成情報を引き出し、生体反応における同位体分別機構の描像を明らかにすることを目的とし、高精度同位体分析法の確立をめざした。 同位体分析法に関しては、高周波誘導結合プラズマイオン源質量分析法(ICP質量分析法)を用いた。ここでは、脱溶媒溶液試料導入法にくわえ、本研究で開発した外部補正法、ファラデー感応速度補正法を用いることにより、鉄・亜鉛の同位体分析精度・確度を飛躍的に向上することができた。また、本研究では、人赤血球中を分析対象とし、鉄と亜鉛の同位体分析を行った。マイクロ波試料分解法とイオン交換法を用いた化学分離法により、鉄および亜鉛の回収率を低下させることなく、有機物、共存イオンを効果的に除去することができ、高精度同位体データを取得することができた。同位体分析の結果、赤血球に関しては、鉄が同位体組成的に軽い同位体に濃縮しており、また男女で違いがあることがわかった。これに対し、亜鉛は同位体変動が小さいうえ(8分の1以下程度)、鉄とは反対に重い同位体に濃集していることも明らかとなった。これは、鉄と亜鉛の取り込み効率の違いを反映しているものと解釈される。さらに、亜鉛同位体組成は、男女間で有意な違いがないことなどもわかった。これは、鉄に関しては、取り込み効率、あるいは代謝効率に、男女間に違いがあることを示している。これらの結果から、生体内の元素同位体組成データから、生体内での金属元素-生体物質の相互作用に関する基礎的知見を引き出せるものと期待できる。
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