約800kmにおよぶ弧状の島嶼群である南西諸島におけるヒト集団の地域的変異をもとに、集団史を解明するため、宮古島の住民(男101名、女86名)から口腔内印象によって採取された上下顎の石膏模型を用いて、歯の形態学的特徴を明らかにした。宮古島住民の歯冠の非計測的形質17項目の出現率について調査し、南西諸島の3集団、日本列島の13集団、および東アジアの38集団と比較し、集団間の類縁性について検討した。東アジア諸集団の中で、宮古島と他の南西諸島人は北東アジア型のSinodontyと東南アジア型のSundadontyの間の中間的な特徴を持っていた。日本列島諸集団の中では、宮古島を含む南西諸島の集団は日本本土の縄文時代人や北海道のアイヌのような在来系集団よりも、北部九州の弥生人や日本本土の現代人などの渡来系集団に圧倒的に近いことが明らかになった。一見したところこれらの結果は、「アイヌ・琉球(沖縄)共通起源論」を支持していないようにみえる。しかし、南西諸島の北端にある種子島において、弥生時代に縄文時代人のような歯を持ったSundadonty集団が居住していたことは、過去における南西諸島にはSundadonty集団が居住していたが、その後Sinodonty集団が移住してきたことを示唆している。南西諸島諸集団内では、4島間の現代人には若干の地域的変異が存在する。その地城的変異は北から南への地理的クラインを示していた。このクラインは、北方からSinodonty遺伝子の流入があったことを示唆していると思われる。
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