出雲大社境内遺跡から発掘された巨大柱根は、炭素14ウイッグルマッチ法、年輪年代測定法によって、宝治2年(1248)造営のものと断定された。宝治2年の造営であれば、「出雲杵築社遷宮神宝注記」(『鎌倉遺文』7112、建長元年(1249))などの宝治度本殿に関する造営文書が重要な史料となる。また、「金輪御造営指図」の史料的価値について、確度の低い史料として退けるむきもあるが、今回の発掘まで3本の束ね柱の存在を示す唯一の史料であり、無視することはできないと判断した。復元にあたっては(1)発掘の成果、(2)「出雲杵築社遷宮神宝注記」などの宝治度本殿に関する造営文書、(3)「金輪御造営指図」、から得られるデータを生かす復元案の作成を心がけた。おもに(1)からは地表面での平面規模、(2)からは床面での平面規模、(3)からは屋根および軸部の構造が、判明する。しかし、復元図を描きスタディ模型を作成したが、すべての条件を満たす解は見出せなかった。結局、(3)「金輪御造営指図」に記される実長の書き入れを生かすと、常識はずれの長大なキャンチレバーとなることから、これを切捨てた。最終的に到達した復元案は以下のとおり。 (1)基本的には大社造に近似する形態で、切妻造、妻入、桁行2間、梁行2間、四方に高欄つきの縁をまわし、正面に長さ108mの木階がつく。柱は掘立柱で、宇豆柱、心御柱は棟までのびる棟持柱となり、他の6本は床下の土居桁でとまる。 (2)平面形式は地表では、梁行13.4m、桁行11.6m、宇豆柱は妻柱筋から外側に1.5m突出する。宇豆柱、心御柱は垂直に立ち、他の6本の柱は内転びに立つ。床面では、梁行9.1m、桁行8.48m。妻面の中央にも柱が立つが、棟木まではのびず梁でとまる。 (3)地表から千木の先端までの高さが48m。地表から床面まで30m、床面から千木先端まで18m、基壇の高さ3m。
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