2000年4月以降に出雲大社境内遺跡から発掘された巨大柱根をもつ本殿遺構を復元考察した。遺構は炭素14ウイッグルマッチ法、年輪年代測定法によって、宝治2年(1248)造営のものと断定された。宝治2年の造営であれば、「出雲杵築社遷宮神宝注記」(『鎌倉遺文』7112、建長元年(1249))などの宝治度本殿に関する造営文書が重要な史料となる。 復元にあたっては(1)発掘の成果、(2)「出雲杵築社遷宮神宝注記」などの宝治度本殿に関する造営文書、(3)「金輪御造営指図」、から得られるデータを生かす復元案の作成を心がけた。(1)からは地表面での平面規模、(2)からは床面での平面規模、(3)からは屋根および軸部の構造が、推定できる。しかし、復元図を描きスタディ模型を作成したが、諸条件をすべて満足する復元案は見出せなかった。結局、(3)「金輪御造営指図」に記される実長の書き入れを生かすと、常識はずれの長大なキャンチレバーとなり、建築学的に不可能と判断し、これを捨てた。最終的に到達した復元案は以下のとおりで、復元模型を作製した。 (1)基本的には大社造に近似する形態で、切妻造、妻入、桁行2間、梁行2間、四方に高欄つきの縁をまわし、正面に長さ108mの木階がつく。柱は掘立柱で、宇豆柱、心御柱は棟までのびる棟持柱となり、他の6本は床下の土居桁でとまる。 (2)平面形式は地表では、梁行13.4m、桁行11.6m、宇豆柱は妻柱筋から外側に1.5m突出する。宇豆柱、心御柱は垂直に立ち、他の6本の柱は内転びに立つ。床面では、梁行9.1m、桁行8.48m。妻面の中央にも柱が立つが、棟木まではのびず梁でとまる。 (3)地表から千木の先端までの高さが48m。地表から床面まで30m、床面から千木先端まで18m、基壇の高さ3m。
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