本研究は、日本の近代化を支えた炭鉱に関連する建造物の調査及び現存しない建造物の図面や古写真等の資料の収集・整理を通して炭鉱関連建造物の実態を明らかにするための基礎的な研究である。対象としたのは炭鉱主の住宅、社宅、倶楽部、事務所、病院である。 図面として、麻生家の本家・分家・別邸、貝島家の本邸・別邸、三井三池鉱業所の病院・倶楽部、三井山野鉱業所の倶楽部が比較的残っている。三井鉱山各鉱業所では沿革史に図面が添付され、他の会社に比べ建造物の実態が把握できる。倶楽部は職員と従業員とに別れており、三井鉱山の場合、職員倶楽部は接待・宿泊に供され、従業員倶楽部は日々の娯楽を主としたものであった。 数は少ないが社宅管理台帳から三井鉱山・住友石炭鉱業・麻生商店の社宅の間取が確認できる。従業員社宅では大正中頃から2室式が造られ、昭和になって2室式が普及し、3室式へと改良が進められていった。三井鉱山では2階建が推進された。職員社宅でも居室の南面化・台所の北面化等で改良が見られる。現存していた社宅は建て替えが進んでおり、炭鉱を象徴する景観の一つであった連続して建ち並ぶ社宅を残すのも僅かである。 古写真は、図面が少なかった事務所に多く、炭鉱主の住宅・倶楽部・病院は少ない。事務所・倶楽部・病院とも外観を洋風とすることで共通する。事務所は機能が多岐に亘り、本部事務所以外に商社的な機能を主とした港に建つ支店がある。平面的に拡がった本部事務所に対して、支店は海からの視線を考慮した造形である。 炭鉱関連建造物は徐々に少なくなっているが、北部九州におけるそれらの大きな特色は、地元資本の炭鉱主の多様な邸宅であり、近代和風大邸宅に関する研究において炭鉱主の住宅は重要な位置を占めると考えられる。
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