一部の有機リン化合物が有する遅発性神経毒性に対し齧歯類は感受性が低く、実験動物としては高感受性のニワトリが用いられてきた。このため、遅発性神経毒性の機序解明にあたって、実験動物として汎用されている齧歯類を用いて明らかにされてきた神経科学分野の成果を利用することが困難であった。そこで、有機リン化合物の遅発性神経毒性に対するラット発症モデルを開発するために、亜リン酸トリフェニルを用い、ラットに遅発性神経障害を発症させることを試みた。体重当たり500mgの化合物を隔日3回経皮投与することにより確実に神経障害を発症させることができた。後ずさり歩行など臨床的な神経障害は最終投与の翌日から観察された。形態学的には脊髄の軸索変性や前角細胞の変性を認めた。免疫染色ではリン酸化ニューロフィラメントの異常蓄積は認められなかった。電顕的観察では、核でのクロマチンの溶解および核周囲への放射状配列、ニッスル小体の一部消失、細胞質の細網状変性、ミトコンドリアの空胞変性などが観察された。これらのことから神経細胞に変化を認めないトリトリルリン酸やミパフォックスに見られる遅発性神経障害作用とは異なる機序によるものと思われた。最終投与後3日目のラットの筋肉組織および神経組織を採取し、ミトコンドリアないしシナプトソーム中の酵素活性を測定したところ、TCA回路に関係するコハク酸脱水素酵素活性が対照群に比べ有意に低下していた。一方、リンゴ酸脱水素酵素活性やイソクエン酸脱水素酵素活性などの酵素活性には認められなかった。このことから、コハク酸脱水素酵素活性の低下はミトコンドリアの空胞変性の結果ではなく、変性を引き起こすメカニズムの一部を構成しているものと思われた。
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