研究概要 |
戦後沖縄における米軍政府の保健医療政策、特に医介輔制度を中心に検証した。米軍政府が公布した法令(布告、布令、指令)のうち、保健医療関係について多数の英文法令とその日本語訳(環境衛生、性病取締、開業助産婦、蚊媒介伝染病、開業医師法、開業歯科医師法、看護婦免許令、医師助手廃止、歯科医師助手廃止など)の資料を収集し、原文と日本語訳の対応表を整備した。また、医療行政文書により米軍政府の保健医療政策について検討した結果、米軍政府の政策は、軍事優先政策であり、とくに環境衛生、蚊媒介性感染症対策、および性病対策を重視していたことが明らかになった。医介輔制度の法的根拠は布令第43号(1951)『医師助手廃止』にあるが、米軍政府は、1945年に布告第9号を公布し、「占領地域において免許状を有する医師、歯医者、薬剤師、看護婦、産婆、その他の者にして病人を治療し、病気の予防をなし、又は薬剤を配給する者は、追って軍政府より命令あるまで各自その業務を継続すべし」と命令を出した。この中の「その他の者」は、沖縄民政府では「医官補」と称され、米軍政府の行政資料では、Doctor's Assistant, Physician's Assistant又はSurgeon's Assistantであったが、逆翻訳した資料ではAssistant Doctorとなっており、米軍政府と沖縄民政府間にその役割に関する認識の違いがあったと思われる。このいわゆる医師助手制度は、終戦直後の医師不足を補完する暫定的措置であったが、1951年の政策転換により、資格認定試験を実施した後合格者に対してMedical Service Man(日本語訳「介輔」)という名称で医療従事が許可された。介輔は、元衛生兵及び元医療施設勤務者で医療の実務経験者であった。衛生兵の教育訓練の内容はかなり広範な医学知識と医療技術を含むものであったことから、とくに戦場で負傷者の救急措置と治療を担当してきた衛生兵は極端な医師不足の戦中および終戦直後の沖縄における医療を担当しうる重要な人材であったことが容易に推測できる。その後介輔が離島僻地住民の医療を充足してきた実績を考えれば、途上国への技術移転は十分可能だと判断される。
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