戦後55年間を概観しながら、昭和35(1960)年から昭和36(1961)年にかけて勃発した全国病院統一ストライキについて、看護が当時どのような職業であったのか、看護婦対策はどのように考えられたか、看護婦不足の観点から、看護労働者の立場から、また、看護政策を行う側の立場から、諸資料や資料作成を行いながら分析した。 それらから、いくつかの戦後看護政策の特徴を知ることが出来た。また、現在にも関連している問題点の発生についても知ることが出来た。 1).最大の問題は、昭和31(1956)年から昭和38(1963)年までの7年間に及ぶ看護課の廃止である。 2).看護婦教育レベルの著しい引き上げにより、看護行政課題は看護教育中心に全面的にシフトした。 幹部看護婦講習会、看護教員講習会、保健婦講習会など、看護婦の地位向上が最大の課題であり、それらは今日まで続いている。 3).看護職の地位向上には努力したが、臨床の看護労働の現場に対して労働条件を引き上げる等の対策は二の次になった。 4).労働条件として重要な看護婦給与の決定において、病院看護婦労働の実態に熟知していなかったために、また、政府内部の不十分な看護への理解を説得できなかったために、看護婦給与は他の医療職より低く設定された。 5).今後の課題として、医療職三表の是正が必要であることは言うまでもないが、同時に、看護労働の実態や大学教育の伸展によって事態は改善されたとしても、さらに、専門技術者としての付加価値を付けられるような政策システムの構築が必要である。
|