(1)ライプニッツやヴォルフらのドイツ啓蒙主義の影響下でなされたサンクト・ペテルブルグ科学アカデミーの設立経緯と、そこでの外国人学者の経年的な数量的変動について明らかにした。 (2)1755年のモスクワ大学設立から19世紀前半までの外国人学者招聘状況を教授名鑑等に基づいて明らかにし、それらの経年的変化と歴史的意義を解明した。 (3)サンクト・ペテルブルグ科学アカデミーのドイツ人学者のうち、ロシア帝国臣民でドルパット大学(現在のエストニア・タルト大学)出身者の比重について確認し、彼らの存在が招聘外国人学者に依存した帝国の学術体制の自立化にとって果たした意義を解明した。 (4)以上から、当初外国人に依存して出発したロシア帝国における近代的科学が、およそ一世紀に及ぶ「修業時代」を経て自立に向かう傾向を解明するとともに、その際、ヨーロッパ的学術の先進地域であるドイツ人支配地域が帝国内に存在したことがそうした自立にとって有した意義を明らかにし、裏面の業績として発表することとした。 (5)ドイツ人とならぶ非ロシア人の有力民族集団であるポーランド人の支配した西部諸県における19世紀前半までの学術・教育体制との概要とこの地域で展開された「ロシア化」政策、そしてその帰結を解明し、裏面のロシア語論文として発表することにした。
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