本研究課題の目的は、植民地期に日本の手によって作成された朝鮮半島の地籍図・土地台帳などの地籍資料を、当時の空間的変容を知るための重要な手がかりとしてとらえ、その所在と保存状態、およびその特性を調査することである。さらにその研究資料としての利用可能性を探るべく、地籍資料を中心としつつ、他の資料や現地調査も合わせて、植民地期朝鮮南部の都市・農村の変容を明らかにしようとするものである。 その結果としてまず第一に、韓国全羅道木浦市、済州道全域、慶尚道慶州郡・義城郡、忠清道清州の各役所に当時の地籍資料が残存しており、それが戦後に至るまで利用されてきたことが明らかになった。とりわけ南済州郡では地籍図と土地台帳以外にもさまざまな資料が残存し、義城郡では資料の保存状態がきわめて良好であった。また朝鮮半島について作成された地籍資料のうち、土地台帳は日本の「明治22年7月大蔵省訓令第49号」にて定められた形式に準じていると思われ、また地籍図は、北海道の地籍図作成に初めて利用されたグリッドを用いた製図方式が採られたことなどが確認された。 次に韓国南部の木浦市役所に保存されていた地籍資料を用いて、植民地期、および解放直後の都市・農村の変容について調査し、資料の利用可能性について検討した。木浦市においては、土地台帳データをコンピュータに入力し、それを分析しつつインタビュー調査を行うことで、戦後までを含めたこの地域の変容(日本人の活動・韓国人の村落間の移動など)が明らかになった。この成果の一部は研究協力者の山元が学術雑誌『歴史地理学』212号に発表した。また地籍資料が戦後まで使われていたことを利用して、代表者である澁谷は解放前後にまたがる木浦の寺社地の変化について調査し、口頭発表を行い、現在学術論文を執筆中である。 第三に、済州道西帰浦市、南済州郡に残る地籍資料を利用し、協力者の山元は済州道西帰浦市の柑橘農園の形成と戦後の変化について明らかにし、学会発表を行った。また分担者の河原は、これらの資料を参考にしながら在朝日本人についての資料収集とインタビュー調査を実施した。これにより、地籍資料にあらわれた土地所有者のライフ・ヒストリーが一部明らかになり、戦前期の在朝日本人の姿が具体的に把握できた。
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