<目的・方法>日本の近世近代における日常食と饗応食の構造的特徴を明らかにするため、各地域・家において実施された饗応の記録を収集し、これらの調査結果を分析し、各地域の食構造の特徴について明らかにすることを目的としている。また、日常食に関する記録は、日記などに残ることはあっても、継続的な記録とされることはきわめてまれである。各地域に残されている主として公的な文書館、図書館などにおける家文書の調査から日常食の状況を明らかにするための手がかりとなる資料を選び出した。 <結果・考察>昨年に引き続き関係資料の目録化を続けた。目録は、47家の文書に及び所属先は国文学資料館史料館を中心に7カ所にわたる。また、文書の地域については、東北、関東、中部、近畿が中心であり、中国地方として出雲松平家があるものの四国・九州について調査できなかったことはこころ残りである。これらの文書のうち、婚礼の献立については、古橋家、千秋家、大前家を中心に分析を行い、従来の饗応の形が明治後期に変化していることを明らかにした。明治後期の婚礼の饗応の形は、酒宴を中心としたもので、現代のように酒肴となるものが先に供され、最後に飯類が供される形は、調査した山間地域でも明治後期には形成されたとみられる。これらの料理は、多くを料理屋、仕出しやに注文しており、料理屋の形式である会席料理形式に類似した形が、次第に婚礼の饗応の形態として変化定着するものと考えられる。
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