研究概要 |
教師がどのような授業方法を取り入れるかは教師自身の経験によるところが大きい。教師は自身が教えられてきたように教育する。すなわち、教師になる以前、教師自身がどのように教育されてきたかが問題となる。理科の教師は自身の小、中、高等学校における経験の中で最も近い経験を元に教育方法を取り入れるため、科学的知識を注入しようとする傾向が強い。一般的な理科教師にとって理科授業では子どもに予想させ、観察・実験させ、その後、科学的な知識を教えれば子どもは知識を覚えると考える。また、理科の教師といえども、物理や科学などの知識や技能などの詳細については理解していても、「科学とは何か?」「科学知識の性質とは何か?」など科学全般の認識に乏しい。理科の授業方法は、このような教師の持つ科学観に依存するところが多く、理科教師として必要な科学観を持ち得ないことが理科の授業方法を画一なものとしている原因である。 本研究の第一段階では理科教師を対象とする調査分析の先行研究として、教員養成課程の大学生(理科専攻)がどのような科学観と理科授業についての考え方を所有しているかを探ることとした。本研究で用いた方法は、McComas,W.F(2000)による教師の科学観調査の方法に、独自に開発した理科授業についての考え方を加味した調査項目を設定した。なお、愛知教育大学3-4年生106名を調査対象とした。調査結果から次のことが指摘できる。(1)科学の限界に関する認識は比較的高い。(2)科学の暫定生に対する理解は一様ではなく、問題により変化する。(3)科学の想像性に関しては多様な見方を持っており、ほとんど一貫性がない。(4)科学の客観性・主観性では、むしろ主観性に同意する意見が多い。(5)科学の実験の役割については、結論を支持することには同意しても他の設問との一貫性があまりない。(6)科学は文化的社会的要素に影響を受けると考える学生が約80%いるが、科学的知識が人間により決定されることに対しては半数以上が否定的である。(7)科学における観察と推論については多くの設問に対して賛否両論があり一様な考え方ではない。(8)科学におけるアプローチの方法においても一貫性を持って考えることができない。また、理科授業についての考え方は、教師中心の学習指導についてはほとんど否定的であり、児童・生徒中心の学習指導を理想としていることが明らかになった。
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