研究概要 |
本研究では明治・大正期に発表された美術教育(図画・手工科)関係文献資料を出来る限り渉猟・収集した。結果,古書として購入したもの,実見し複写資料を得たもの,実見はできなかったものの所在情報が明確なもの等,雑誌掲載記事・論文データ4300程と,単行本データ500余のデータを得,それぞれ時系列に沿って整理してデータ集-目録を作成した。この目録は刊行年月日,著者名,タイトル,書名・巻号,発行所,頁数を掲載するのみであるが,当初予測したように美術教育思潮の変遷を画然と示す資料,美術教育史上のエポックとされる事項を確認・実感できる資料となっている。 たとえば手工科が実施され始める明治19(1886)年から数年は手工に関する論文・記事が目立つ。明治20年代初めから30年代半ばにかけては毛筆画に関する主張とこれに対する鉛筆画の主張及び,両画法の得失論が目を引き,いわゆる鉛筆画・毛筆画論争がその輪郭を現出している。大正9(1920)年から暫くは自由画に関した著作が多く,自由画教育運動が一気に広がったことが瞭然となる。 また,自由画教育(実態は臨画から写生画等へのムーブメント)が全国に拡がる10年以上前から芸術教育,創作教育,臨画の否定,写生画の奨め等の論が多く発表され,このムーブメントのレディネス形成が進んでいたことが判る。そして資料からは直接見えにくいのが残念ながらこの研究を通して,従来ほとんど触れられてこなかった英国人女性教育家E・P・ヒュース(明治34年来日,約450日間滞日)が,以降の美術教育思潮に意外に大きな影響を与えたことがわかった。このことについては改めて詳報する機会を持つつもりであるが,それはさておいても,本研究で作成したデータ集は今後の美術教育史研究の有用な資料となるはずである。
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