昭和20年代の総合主義教育について、国語教育の視点から研究した。 1.戦後、昭和20年の総合主義教育の歴史的経緯をCIE、IFEL、文部省などの動向から、各学校での動向、民間教育団体の動向、理論研究など含む範囲で調査した。取り扱ったのは、倉澤剛、梅根悟、太田堯、海後勝臣、倉沢栄吉、その他理論家の文献と、コア・カリキュラム連盟の雑誌の検討である。その中では、国語科は用具教科・周辺教科として位置づけられている。しかし、コミュニケーション自体について取り扱いは国語科以外では見られない。国語科では、コア・カリキュラム運動の影響は少なく、単元学習の影響が大きい。理論としては社会科を中心としたコア・カリキュラムであり、国語科のコミュニケーション、それも相互理解を目指したコミュニケーションまでは意識されていない。 2.各学校での実践記録や研究集録、授業案、カリキュラムなどを調査した。調査対象は、福沢小学校、北条小学校、東京第三師範付属大泉小学校、東京高等師範付属、西多摩小学校である。また、川口プランについても検討の材料とした。各カリキュラムを見ると、二つの傾向があり、一つが生徒の実態に合わせた活動主義的な内容であり、もう一つが実際の授業よりも教育課程をどのように編成するかという意識により作成されたものである。後者の場合は、各教科の内容を一年間や学年でどのように配置するかという点に腐心しており、授業の内容や生徒の実態からの考察が十分ではない点が見られる。その点、地域密着型のカリキュラムでは、児童の生活を意識した内容が多く、生活単元としての総合主義がここに見られる。例えば、福沢小学校では話し合いを中心に展開されていて、コミュニケーションを重視する意識が伺えた。他校のカリキュラムも「話し合い」などの項目はあるが、その実態は定かではない。スコープとシークエンスからカリキュラムを設定することは、児童の実態を調査し、その上に教育内容を設定していくことになり、教育的な効果は期待されたにせよ、終焉を迎えたのは、学力保障の問題と共に、教科のアイデンティティの問題であり、国語教育の視点からはコミュニケーション能力の育成の問題があると言えよう。
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