フラビン酵素の多岐に渡る機能は、その分子構造からフラビン環が酸化型に加え、1電子還元型、2電子還元型いずれの電子状態もとりうる事に由来し、さらに水素結合などのフラビン環周りの分子間相互作用により酸化還元電位を広範囲に変化させる能力にある。本年度は、主にアシルCoA脱水素酵素(ACD)における電荷移動(CT)相互作用に焦点を当て、分光学的および構造学的測定とその理論解析により、酸化型フラビンの電子状態研究を行った。ACDは、基質アシルCoAのα、β水素をトランス脱離し、trans-エノイルCoAに変換する反応を触媒する。遷移状態アナログとしてデザインされた3-チアアシルCoAは、ACDとの複合体形成に伴い新たな長波長吸収を与える。これは、結合リガンドが基質結合の場合と同様に脱プロトン化し、負電荷の一部が酸化型フラビンに移動したCT状態を形成する事を示す。CT複合体のX線結晶構造解析の結果は、脱プロトン化リガンドがフラビン環の近傍に配置し、基質反応における遷移状態を想起させる立体配置であった。リガンド-フラビン2分子モデルを用いた分子軌道計算は、この立体配置において脱プロトン化リガンドと酸化型フラビンの間に結合性軌道が形成される事を示し、酸化型フラビンから脱プロトン化リガンドへの電荷移動量を定量化した。さらに理論計算は、フラビン13C化学シフトおよび可視紫外吸収スペクトルの実験結果を十分に再現した。2分子間相互作用に関する理論計算の成功は、今後期待される酵素反応への適用に信頼性の保証を与えた。また、本年度は、ACDの同属酵素であるアシルCoA酸化酵素のX線結晶構造解析を行い、酵素活性部位における脱水素酵素との相違点を明らかにした。さらに、D-アミノ酸酸化酵素の変異体酵素を用いた研究においては、フラビン環近傍の水素結合の形成と酵素反応速度との関連性を詳細に検討した。
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