フラビン酵素の電荷移動(CT)相互作用は、酸化または還元状態が摂動を受けた電子状態であり、結合リガンドをデザインすることによって、フラビンの新たな電子状態変化を引き出すことが可能である。本研究課題では、脂肪酸β酸化系酵素であるアシルCoA脱水素酵素と、基質3位を硫黄に換えた基質アナログ3-チアアシルCoAとのCT複合体における分光学および立体構造学的性質に焦点を当て研究を行った。CT複合体のX線結晶構造解析は、基質アナログの3位チオエーテルS原子がフラビン環のN5原子の近傍に配置し、基質反応における遷移状態を想起させる立体配置であることを示した。フラビン環と基質アナログからなる複合体の単純化分子モデルに対して分子軌道計算(密度汎関数法)を行ったところ、結晶構造解析における立体配置が最安定配置であり、この立体配置において、フラビンの13C化学シフト値およびCTバンドの波長が再現されることが示された。複合体分子モデルにおけるHOMO軌道は、基質アナログのS(3)原子とフラビン環N5原子の間に大きな結合性軌道が形成されていることを示し、Mulliken Population解析から、電荷移動量は0.28電荷であると見積もられた。S(3)は基質におけるヒドリト移動に対応する位置であることから、CT複合体の電子的諸性質が基質反応の遷移状態に類似することが示唆された。本研究は、これまで定性的に理解されてきた電子論を定量化することを可能にし、フラビン酵素に対する理論計算におけるモデル構築とその信頼性を検証する方法論の基礎を築いた。今後の基質反応への理論計算の適用および他のフラビン酵素への発展研究が期待される。
|