研究概要 |
「徳と利益-シャフツベリ,マンデヴィル,バトラー-」 18世紀のイギリス社会で経済の発展に伴って道徳が変容したことは,詳細には論じられていない。そこで,シャフツベリ,マンデヴィル,バトラーを取り上げ,「徳と利益」をめぐる言説を検討し,経済の発展に伴う道徳の変容について明らかにした。 シャフツベリは「徳あるいは価値に関する研究」(1711)で「徳と利益が一致する」ことを証明しようとしている。だが,シャフツベリの証明が依拠する「道徳算術」は徳(善)をその要素とする利益(幸福)計算であり,利益の観点から徳を評価するものである。シャフツベリの場合,徳の観念は利益の観念によって侵されている。 一方,『蜂の寓話』(1714)で「私悪すなわち公益」という逆説を提起したのがマンデヴィルである。ただし,マンデヴィルによれば,社会の利益を顧慮する人々にとって,道徳は人間を支配するために必要なものであった。マンデヴィルは,徳と利益の対立よりもむしろ,利益のための徳,徳に対する利益の優位を唱えていたのである。 それに対して,バトラーは『説教集』(1726)で,利益に基づく生き方が道徳的な生き方ではないと主張している。だが一方で,良心(徳)と自己愛(利益)の一致や,自己愛による道徳的行為の正当化の必要性を説いている。そのために,バトラーは自己愛を「冷静で合理的な原理」に格上げし,良心の権威を危うくしている。 シャフツベリ,マンデヴィル,バトラーの道徳思想に共通しているのは,利益の台頭である。徳は利益に侵食・従属・譲歩させられている。この傾向は次第に強まり,やがて徳そのものが棄てられ,代って「義務」が道徳の中心に据えられることになる。 (なお,本研究は日本イギリス哲学会第26回研究大会(2002年3月)で口頭発表した。)
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