研究概要 |
「17・18世紀の日本における儒教の社会的受容」の解明を課題とする本研究を進めるにあたって,私は,次のような2つの個別具体的課題を設定した.すなわち,(1)元禄・享保期の大坂とその周辺地域において庶民の上層(上層農民や上層町人)が儒教を受容していく過程を具体的に跡づける,という課題と,(2)18世紀に武士階層へ儒教が受容されていきその帰結として同世紀末に諸藩で藩校が設立されるに至る過程を具体的に跡づける,という課題との,2つである.まず,(1)の課題に関わる本年度の研究成果としては,論文「近世女訓書における書物と読者」を発表したことが挙げられる.同論文では,享保以後広く読まれた代表的女訓書である『女大学宝箱』とその類書(『女小学教草』ほか)に書物論的観点から検討を加えてそれらの書物としての特質を明らかにするとともに,それらを刊行した書肆とその出版戦略の特質をも明らかにした.また,「女小学」の刊行に摂津今津のある上層農民が関与していたことを手がかりとして,元禄・享保期の西摂地域の村落上層における思想文化・儒教受容のあり方を実証的に明らかにした.次に,(2)の課題については,とくに彦根藩の事例に着目して研究を進めてきた私は,18世紀彦根藩中・下級武士層における儒教受容と政治意識形成の関係に関する研究報告を行うなどした.また,18世紀における武士階層の儒教受容と同世紀末における諸藩の藩校設立につき,より広い視野から検討していくために,このような動向の具体的解明に必要な史料の調査・収集を幅広く行った.個別藩校史に関わる史料群とそれら相互の横のつながりを知りうる史料群とを有機的に連関させつつ分析する作業を現在行っているところである.
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