本年度における最も重要な実績として、中国山西省高平市に所在する北宋紹聖三年(1096)竣工の開化寺大雄宝殿壁画の調査が実現したことが挙げられる。これに関しては既に中国側のかなりまとまった報告もあるが、記述の不備や図版及び資料の不足による諸種の疑義が存していたため、これらの確認を主に行った。特に、全壁画の配置状況やその図像、及び寺内に存する各種碑銘の状況の確認を中心とした。碑銘に関しては、全ての精査は不可能であったが、根本資料である大観四年(1110)澤州舎利山開化寺修功徳碑の現存状況を確認できたことが最も重要であり、煕寧六年(1073)銘大雄宝殿正面入口両脇石柱陰刻銘及び殿内北東壁下部寄進者墨書銘の解読結果をも勘案することにより、中世以来の華北の伝統的な邑義による作善事業の実態が判明した。併せて天聖八年(1030)銘澤州高平縣舎利山開化寺田土銘記も確認・解読できた。この壁画が重要であるのは、中世以来の有数の華厳信仰の拠点であり、且つ北宋時代に同信仰の伝播の淵源となった山西地方のそれに関する美術の具体的実態を提供する唯一の現存例であるからであって、ここに現れた「新毘慮舎那像」と石田尚豊氏により称された図像は、南宋時代に顕著になるものだが、その由来を中世に遡及させうる可能性を強く示唆する点で重要であると考えている。なんとなれば、本研究の目的の一つには、華厳美術を軸に、その伝播状況を考えることで、中国を中心とした東アジア各地の文化実態を明らかにすることがあるからである。この調査と同時に若干行った山西地方に残る前後の時代の壁画の調査も継続して、北宋時代仏教絵画美術の全体像を考え直す契機としたいと考えている。
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