本研究は、人物誌から近代日本社会学史を構成することを試みている。対象時期は、1900年前後の社会学の生成・形成期である。この時期の日本の社会学(および社会問題・社会運動との関連)に関して、布川孫市(1928)は、(1)慈善事業救護問題等に従事した人々の系譜、(2)広義にいう社会改良、社会問題研究、社会学の方面に関心を寄せる人々の系譜、(3)労働運動の実際にかかわった人々の系譜の3つを挙げている。これらは、現在の制度化された社会学からみると、<学問と運動が未分化>という点で学問的に未成熟ととられ、学史として重く扱われていない。(1)と(3)に関しては、社会観察、参与観察といった社会調査史との関連が指摘されなければならないが、本研究では(2)に注目する。布川は(2)の「一団、之は京都同志社方面より幾多の人士を出し」、浮田和民、安部磯雄、岸本能武太、村井知至、山室軍平らはその一例としている。彼らは基督教徒であり「従って、社会学も、社会問題も自ら米国流である。」と述べている。 岸本能武太はハーバード大学に(1890-94)、浮田和民はエール大学に(1892-94)留学しているが、いずれもキリスト教系東部名門私立大学である。19世紀の大学は、世俗化前の大学であることに注意しなければならない。その意味は2つある。第1に、専門個別科学を学ぶというより、広く学問を学ぶ姿勢を持つこと。第2に、そうした学問の土台にキリスト教(的文化)が不可分に在ること。 学説史の観点からいえば、社会有機体説から国権論に続く社会学が講壇社会学へと引き継がれていく一方で、社会進化論から改良主義的社会主義に続く社会学という別の系譜がある。後者は、アメリカからの帰朝者によって担われた。彼らは、社会主義(運動)と社会学との範疇的区分を強く主張している。これは従来の学史研究で重く扱われていない重要な系譜と考える。
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