研究代表者は、2001年度〜02年度の2カ年を使用し、北海道南西沖地震後の奥尻島における民俗事例の軌跡と文化再活性化についての調査を進めてきた。奥尻島の中でも、特に大きな被害を受けた青苗言代主神社例祭、さらには奥尻3大祭りのうちの2つである賽の河原祭り、室津島祭り、そして震災後のネズミの大発生による災害予測の事例に焦点を当て、地震後の民俗事例の軌跡たどった。 すべてを消失した青苗言代主神社例祭の復興は、地区の文化の再活性化を喚起したと理解した。室津島祭りについては、出発地を松江に変えてまでも、青苗の人々は震災の翌年から祭りを継続することを選択した。そこからは、人々が室津島祭りを維持しなければならない重要な行事として再認識したことがうかがわれた。賽の河原祭りについては、北海道南西沖地震の被害者の供養という精神性が加わり、まさに津波の悲しみを味わった奥尻島を象徴する祭りとしての道を歩み続けている。また、ネズミないしはヘビの発生の変化が災害を予知するものとして認知され、災害予兆の民俗伝承として普及し、伝えられていくかどうか、今後も見守り続ける必要がある。 結論として、奥尻島の文化にとって、北海道南西沖地震というものは、2つの側面を持つ大きな出来事であった。すなわちそれは、一方では、社寺、霊場、祭祀用具その他民具類など、多くの文化的財産を消失させ、文化を一時的に停滞させてしまったという側面であり、一方では、奥尻島で培われてきた文化というものに再び人々の目を向けさせ、またそれらを維持しようとする気運を生じさせたという側面であった。
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