本研究は、明治期に衛生官僚として活躍した後藤新平を中心に、日本近代における衛生思想および衛生政策を、(1)医療や社会保障、市制町村制といった問題との関違で、(2)さらには、後藤の台湾民生局時代の政集との閏連で検討するものである。 本年度は、昨年に引き焼き、衛生組合という後藤らが全国に設置を広めた地域住民組織の歴史的意義を検証するため、明治地方自治制下での位置づけを分析した。そのために、市制・町村制において五人組が取り入れられなかった理由を検討すべく、東京市政調査会市政図書館所蔵の村田保「町村法草案」(町村制の原案として当初五人租をも壁り込んでいた)の全冊の写真撮影をおこなった。そのほか、主として東京の図書館・資料館において資料調査をおこない、地方自治制関係、明治期衛生・社会保障関係の文献の収集をおこなった。 また、昨年同様、本年度も台湾に赴き後藤の台湾民政局時代の資料の調査をおこなった。昨年は台北を中心とした調査であったが、本年度は南投県の国史館台湾文献館にまで足を伸ばし、台河総督府が残した膨大な公文書を直接見ることができた。その中で、やはり台湾における衛生組合設置に門する史料を閲覧するとともに、日本統治下の台湾の地方制度にも目を向けるべく、街庄制や保甲制の史料を閲覧・複写し持ち帰った。さらに台湾では、地元東海大学(台中)の林珠雪助教授より、台湾における日本植民地時代の研究の動向を詳細に聞くことができた。 二年の調査で相当数の史料を収集することができた。しかし、それでもなお、特に台湾についてはやり残した作業も多く、今後の裸題とせざるを得ない。
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