本年度は7世紀から8世紀にかけてのビザンツ社会の変容に関して、考察を行った。この時期はビザンツ帝国の歴史の中でも最も文字資料の少ない時代である。それゆえ文字資料のみならず各種資料を広範に収集して調査することが不可欠である。幸い近年、小アジアを中心として都市の遺構の発掘が進んでおり、イスラム勢力の急速な拡大期・及びその直後における小アジアの都市やその周辺共同体の動向を窺い知ることが可能である。さらに印章資料などのその他の考古学の成果なども利用できる。 こうした資料状況をふまえ、本年度はビザンツ都市の景観変化に関係する研究を精力的に進めることができた。これまでビザンツ帝国では7世紀のペルシア・アラブの脅威の結果、多くの古代都市(ポリス)が大幅に規模を縮小して寒村化(カストロン)したとされてきたが、近年の発掘の進展などから、実際には都市景観の変化は6世紀から8世紀までの比較的長期の期間をかけて漸進的に進行していたことを本年度は明らかとした。この研究結果の詳細は『西洋史学』誌に掲載予定の論文として結実している。なお8世紀初頭のビザンツ杜会に関しても若干の予備的考察を行った。この結果は現在論考として執筆中であり、来年度に公刊される予定である。 また先述したように極めて資料が少ない時期でもあるため、資料の収集に関しては努力が必要となる。そのため文献資料や発掘調査報告などを積極的に収集した他、本年度は8月にフランス(パリ)に赴いて、資料の収集や印象資料の閲覧などを行った。また9月には私費にてトルコに赴いて、地中海・エーゲ海沿岸部のビザンツ時代の都市遺跡の遺構の調査も行っている。
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