研究概要 |
本研究は,南西諸島の弥生・古墳時代並行期の詳細な土器編年の再構築を基軸とし,生活スタイルとしての土器様式の在り方を再検討することで,「内的」・「外的」状況を把握し,「外的」状況のみが考えられる人間の移動や,青銅器・鉄器その他の流通などが示す日本列島との交流の消長から,文化受容のあり方を明らかにし,南西諸島内部における地域色の生じる背景を考察することにある。そして,その他の地域(日本列島の島嶼部)における当該期の状況と比較検討し,南西諸島のコンテクストや,地域を異にして貫徹する文化的共通項を抽出し,島嶼部としての文化受容のプロセスと地域性をモデル化することを目的としている。 本年度は,南西諸島の土器の編年を中心に行った。 まず基本的な作業として,遺跡の規模,立地,遺物の出土状況,出土遺物のデータベース作成を行なった。そして,南西諸島を大隅諸島地域・トカラ列島〜奄美諸島地域・沖縄諸島地域の3地域における土器編年作業を行なった。 大隅諸島地域では,縄文時代末から南部九州地域と同様式を用い,弥生時代後期〜古墳時代は,甕は口縁部形態・文様などは独自性が強いものの,プロポーションは南部九州的であり,様式としては甕のみという独自性を持つ。トカラ列島〜奄美諸島地域では,弥生前期後半〜後期にかけて,文様などは強い独自性を持つが,口縁部形態・プロポーションは南部九州的である甕のみの様式となる。しかし,古墳時代には,独自性の強い甕と壷・高坏といったセットでは南部九州的である。しかし,壷の形態などは,沖縄諸島地域的である。沖縄諸島地域では,かなり自律的に独自の土器様式が展開するが,古墳時代には.高坏などが確認できることがあり,ミニチュア土器も安定してくる。 したがって,南西諸島における「外因」は,土器様式からも看取され,それは南部九州的要素の採用という観点から判断して,南海産貝輪交易のあった弥生前期後半〜中期前半段階と,これまで関係性が希薄とされてきた古墳時代のある段階,と結論づけることができた。
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