国分寺創建期の軒瓦を、文様、技法の両面から検討するのが本研究の目的である。この目的に基づき、今年度は、総国分寺・国分尼寺である東大寺、法華寺および、平城宮・京内出土の軒瓦の調査を行った。また、これと並行して、平城宮・京出土軒瓦と文様が類似する瓦を出土する国分寺を対象に、調査を進めた。 まず、東大寺・法華寺創建期軒瓦と、平城宮・京出土軒瓦の比較検討を通して、その文様、製作技法の特徴を把握した。法華寺出土軒瓦は平城宮出土軒瓦と同じ文様系統に属し、製作技法も全く見分けが付かない。これに対し、東大寺創建期の軒瓦は、平城宮・京出土軒瓦と密接な関わりを持ちながらも独自の、文様、製作技法を用いている。すなわち、総国分寺と総国分尼寺の瓦生産体制には、大きな違い存在していることを明らかにしつつある。 東大寺の軒瓦と密接な関わりを持つのは、平城京の西大寺、西隆寺、および平安京の東寺、西寺であり、これらの寺院出土の軒瓦の調査をあわせて行った。いずれも、軒平瓦の製作技法に、共通した顕著な特徴をもち、極めて密接な関わりが推定される。これらの寺院間では、軒瓦以外に、刻印瓦の印材形態や押捺方法に共通性が見られ、工房・工人系統が同一である可能性が極めて高いという見通しを得るに至った。 大和以外の国分寺では、山城国分寺、紀伊国分寺、讃岐国分寺の瓦調査を行った。このうち、山城国分寺は、恭仁宮の中枢部分を利用して造営、整備されており、文様、技法共に、平城宮出土軒瓦との関わりが極めて密接である。一方、紀伊国分寺と讃岐国分寺の軒瓦は、平城宮・京出土軒瓦と類似した文様をもつが、製作手法では独自性も見られる。これらを、国分寺創建期軒瓦の文様、製作技法の様相を考える上でのモデル地域として把握し、国分寺創建期の軒瓦を整理していく見通しを得た。
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