本年度は、高山寺蔵「観智記」等の新たな鎌倉時代聞書類の記述的研究を実施し、総合的な語彙データベースの基盤作りを行った。 高山寺所蔵の「觀智記」三帖(重文第二部第41号1〜3)は、鎌倉時代中期書写と推定される明恵上人高辮(1178〜1232)の講説に基づく聞書類である。明恵の最晩年期にあたる寛喜二年(1230)、寛喜三年(1231)に行われた講説に基づくもので、片仮名交り文を主体とする。編纂、書写に関する奥書を持たず具体的な年代は分明でないが、明恵上人講説による聞書類の編纂が明恵存命中に行われた例はなく、本文の片仮名字体の特徴と総合して考えると、本資料の成立、書写は明恵上人の示寂する貞永元年(1232)より後で、それからさほど下らない時期と見るのが妥当であろう。本資料の原典は、「成就妙法蓮華経王瑜迦観智儀軌」であって、明恵関係法談聞書類の中で儀軌を対象とする現存唯一の資料である。「観智儀軌」は773年に不空三蔵が大日経や金剛頂経に基づき法華経を儀軌化したものとされるもので、台密で特に尊重されたという。「観智儀軌」を対象とする一貫した講説は少なくとも寛喜2年、3年において複数回行われ、その際の聞書を取捨選択しつつ編纂したものが現存の「観智記」である。本資料に種々の注目すべき中世語的言語事象が認められることは筆者が既に指摘した通りであり、国語史的に極めて高い価値を有するが、明恵の事績をより明らかにし得る新資料であると共に、明恵教学と「観智儀軌」との接点を示す唯一の文献として殊に日本仏教史学、日本思想史学等の諸分野においても極めて有益な資料となる。本年度は、その資料的価値に鑑みて、「観智記」の全文の翻刻を解題、図版数枚と共に雑誌上に公開した(「実践国文学」61号、平成14年3月)。
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