本年度は、都賀庭鐘・上田秋成における学芸と文芸との連関のあり方についてめ探究を中心に行った。庭鐘の「猥瑣道人水品を弁じ五管の音を知る話」(『莠句冊』)には、作者自身の「音」に関する論が存する。これが単なる衒学のためのものではなく、音、人間の声、人間の感情のごとき要素が関連付けられており、それは庭鐘自身の、小説は人情を表現するものなりという小説観と基底において繋がっているという結論を得た。 また秋成の煎茶の論についても、文芸の営みと全く別の趣味の領域のものと理解するのは妥当ではなく、煎茶の論を支える根本的な論理は、小説の中での人間の捉え方や構想の根底にある論理と一連のものと見なし得ると判断するに至った。 なお庭鐘・秋成と同じく近世中期上方の作家・思想家である大江文坡についての探究も行った。文坡については従来、その作『勧善桜姫伝』が、後期読本である山東京伝の『桜姫全伝曙草紙』の粉本となった点が主として論じられてきたが、今回、文坡の他の作品、更に文学書以外の思想関係(易、仙教)の書に関しても併せて調査し、小説におけるテーマ、人間の心情の取り上げ方などが、思想書に見られる文坡独特の人間観と一連のものであるという理解に至った。 後者文坡の論は発表予定にて準備中、前者庭鐘・秋成の論は来年度、発表に向けて更に探求を進める。
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