近世中期の漢学者・文人においてその学芸と文学とが如何なる関連を持っていたのかについて、(1)沢田一斎(2)上田秋成に関して探究した。 (1)に関しては、儒学者・沢田一斎が、儒学・漢詩文のみの領域にとどまらず、白話(中国俗語)を研究し、白話で記された小説を愛読、更には自ら白話を駆使して小説の創作を行った点を取り上げた。『日本左衛門伝』『演義侠妓伝』という二作の白話小説の作者・天花堂呆山人が沢田一斎であるとの説を提示し、二作に共通して"悪"に対する独自の関心が認められること、そこに中国小説『平妖伝』『水滸伝』の影響が考えられることを論じた。(2003年3月4日、国文学研究資料館における共同研究会にて発表。) (2)上田秋成に関しては、その物語(小説)論が、彼の歌論と強い連関を持っていることを指摘し、"小説とは表現なり"という規定を前提に置いていることについて論じた。更に、この規定が"和歌とは調べなり"とする彼の歌論と連動するものであるとの説を示し、そのような歌論の基底には、当時(近世中期)の漢学の議論(特に儒学における詩経の論)が大きく存在していること、従って秋成の如き論は、周囲において受け入れやすいものであったと思われることなどを述べた。その上で、秋成の寓言論(小説は作者の思想を託すものなりとの見解)も、小説とは表現であるとする規定を前提にしており、寓されるのは、表現を玩味して浮かび上がってくる思想のことである(即ち顕わな教訓道徳ではない)という点にも言及した。(論文「上田秋成における小説と詩歌」)
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