当初の計画では、アメリー、ロート、カネッティを主眼に、ハイネをいわば援用しつつ、「啓蒙」の系譜ということを考えていく予定だった。しかし研究の過程で、ハイネの位置付けがきわめて重要であること、そしてまた、カネッティはむしろ「啓蒙」の系譜には置きえないことが明らかになったため、研究の重点をハイネに移し、カネッティはむしろ比較の対象として検討することになった。 ハイネの作品は、「私(男)-神-あなた(女)」という布置による戯れの運動を示す。その際、呼び出されるのが一神教的神の像か多神教的神の像かは、一義的でないこともある。この布置の意味、あるいはハイネの選択が問われる。ハイネが呈示しているのは、神-人間-世界という三概念による、神話的宗教史的歴史把握であって、それはヘーゲルの歴史哲学に対立するものだ。ハイネの特質は、歴史哲学より古いこの歴史把握と政治的近代の結びつきにこそある。そしてそれは、ロートやアメリーへも、つながっていく問題である。作品のなかに新しさや解放の哲学だけ、あるいはまた、人間学的なものや記憶の作業のみを見るのではなく、ふたつのものの媒介に注目し、それが何を意味するのかを解明することがこれからの課題である。 研究成果の一部は、日本独文学会2002年秋季研究発表会にて発表した。(「"Artistik und Engagement"-ハイネ『イデーエン ル・グラン書』についての一考察」) 本年はまた、ベルリンで行われた「ベルリンのカール・フィリップ・モーリッツ」シンポジウムに参加したが、ベルリンのユダヤ人サロンの役割に関する情報交換の機会としても有益であった。
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