刑事裁判において事実認定を行うのは裁判官であるが、この裁判官は「真空の中で」証拠評価を行うものでないことはいうまでもない。公判廷において提出された証拠をめぐり、検察官、被告人、弁護人といった訴訟関係人が多種多様な主張を行い、裁判官はそれらの主張を吟味したうえで判断を行うのである。 従来の事実認定研究は、主として判決理由を素材として裁判官の証拠評価の当否を論じてきた。しかし、日本の判決理由には証拠の内容や、当事者の証拠評価に関する主張が具体的に書かれることはまれであるため、前述のような証拠評価の重要な側面を対象に入れられることがなかった。本研究により、従来の研究には次のような問題があることが示された。 (1)実証的根拠が必ずしも十分に示されずに「裁判官のバイアス」が指摘されてきたこと。 (2)実証的根拠を示す場合にも、分析者が直接に証拠を評価した結果を示すという形式がとられ、必ずしも確たる数値が示せないような蓋然性評価が問題となるという刑事裁判の事実認定の特質に鑑み、水掛け論にならざるを得ない場合が多いこと。 (3)以上のような事情により、事実認定研究が、科学的というよりもイデオロギッシュなものになってきたこと。 これらの問題を解決するためには公判記録等、証拠等に直接ふれた研究が必要になるとともに、研究者が直接に証拠そのものの価値について評価をせず、当事者らと裁判官の証拠評価をめぐるコミュニケーションそれ自体を正確に把握する作業が必要になってくる。 本研究ではこのような作業の第一歩として、ある一事件を素材にとりあげ、公判廷における証人尋問の様子と、それをめぐる当事者の主張の絡み合い等を分析した。その結果、当事者の主張については対立当事者の主張を無視した形でなされるなど、積極的な形でコミュニケーションがなされていないことが明らかになった。そして、そのような不十分なコミュニケーションは現行法システムによって促進されているという側面も示唆された。今後はこのような事例研究を積み重ねていく必要があるとともに、証拠評価をめぐる当事者や裁判所のコミュニケーションが十分になされるための法制度を設計していく必要がある。
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