研究概要 |
本年度は,成立直後(1917年11月-1918年6月)のソヴェト経済における中央政府と市場・企業の関係について重点的に研究を行い,以下の点を明らかにした(詳細は発表予定の論文を参照)。 ボリシェヴィキ党(共産党)の革命前の経済政策構想には,(1)労働者やその組織の現場(個々の工場や地方)での自発的創意の発揮に依拠するという方向(自主管理路線)と,(2)高度に集中された銀行と大工業を基盤として国民経済全体の統制をはかるという方向(中央統制路線)とが,両者の間の矛盾への自覚を欠いたまま併存していた。革命直後のソヴェト政府は第1の方向を優先し,労働者統制や地方ソヴェト・工場委員会等による企業の没収・徴発・接収・差押の奨励を行った。これらの政策は,資本家による生産の支配を掘り崩すという点では大きな効果をもったが,ソヴェト政府の期待に反して,企業内の労働規律の崩壊と労働者集団による企業資産の私物化(占有・転売)を引き起こした。一方,第2の方向の具体化として実施された私営銀行の国有化と統合は,利子・配当の支払停止,証券売買の禁止,預金引出しの厳しい制限等の一連の政策とあいまって,やはり予想外の結県として,種々の信用取引の衰退と取引の現金化・現物化をもたらした。ソヴェト政府は1918年春以降,労働者統制や地方自治権を制限する方向に政策の転換をはかるが,しかしその時点ではすでに,中央統制の拠点となるべき生産集積と信用のネットワークは寸断され,市場は零細な小生産者・小商人を主たる担い手とする,原子的・単層的・非有機的な形態へと「退化」しつつあった。国有化された銀行が期待されたような経済管理の結節点としての役割を全く果たさず,たんなる紙幣発行機関にとどまったのはまさにこのためであると考えられる。
|