研究概要 |
ブリテン綿工業の市場構造の分析に重点を置いた平成13年度の研究活動によって,「ブリテン綿工業の市場構造-イングランド・スコットランド・アイルランド綿工業の相関をめぐって」と題する論稿ができあがったが,その内容を要約すると次のようになる。 まず地域を問わず、ブリテンの綿工業は19世紀末までほぼ同じ市場構造の下で展開したことが確認できる。原料の綿花は18世紀には西インド諸島からの輸入に依存していたが、19世紀になると北アメリカが最大の輸入先になった。そして、ブリテンの輸出大宗であった綿糸と綿布の輸出先構成に関しては、各輸出国・地域の綿工業発展度合いやそれぞれの消費構造を反映して、高番手細糸や良質綿布がヨーロッパ大陸や北アメリカへ、低番手太糸や低・中級品綿布が中国、日本などのアジア地域へ輸出した。そして,19世紀後半にイギリス綿製品の最大の輸出先であったインドは低番手から高番手までの綿糸、また多くの品質や種類の綿布を吸収した。 一方、綿布,特に高級綿布の国内市場も輸出市場に劣らないほどの速度で成長しつづけた。イングランドでの紡績機、力織機の改良や染色、捺染生産の技術進歩が進み、1830年代からモスリンなどの高級綿布も機械で大量に生産できるようになったことは、このような国内高級綿布市場の急成長を引き起こした技術的な要因であった。しかし、機械生産による高級綿布の生産拡大と同時に、綿工業生産の地域間関係にも変化が起きたことが注目に値する。スコットランドやアイルランド綿工業の主力製品-モスリンの販路が次第にイングランド製のそれに奪われていき、それぞれの地域が生産規模の縮小や製品品目の変更を余儀なくされた。これで、19世紀初頭まで協調かつ補完的分業関係を保ちながら、異なる製品品目をもって発展してきた三つの地或の綿工業が次第に競争関係に転じた。やがて市場力が最も強かったイングランド綿工業だけ成長しつづけ、アイルランドが1820年代後半に、スコットランドが1870年代にそれぞれの綿工業が衰退するようになったのである。
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