歴史的建造物保存・修復の考え方は、東アジアの中で日本、韓国、台湾が近い考え方を示すのに対し、中国だけは大きく異なっている。日中の考え方の差異を、それぞれの形成過程から比較、再考し、両者の特質を探ることを今年度の課題とした。 日本近代の建造物保存・修復は、明治期に19世紀ヨーロッパの考え方を取り入れることから開始された。ところが、それ以降、ヨーロッパとの積極的な交流のないまま長期を経たため、その後のヨーロッパでの考え方の変遷については断片的にしか反映されなかった。とりわけ修復については、19世紀ヨーロッパを席巻した様式的修復の考え方を基礎として、伝統的な修復方法を近代化することとなり、その核心に復原に対する強い志向性が刻み込まれることとなった。日本に関しての以上の内容を、論文として発表した。 一方、中国では、戦前の段階から日本及び中国自身による建造物保存が始まっていたが、戦後の共産主義体制のなかでその流れは断ち切られた。新しい文化財保護は、1961年に制定された全国重点文物保護単位に象徴されるよう、日本とは全く異なる枠組みで進められた。また、修復については、木造を基調とする構造をもつため、解体修理の手法を取る点では日本と共通しているものの、解体に及ぶ修復は破損が大きい場合にやむを得ずおこなうもので、現状維持を前提にしているところがうかがえる。修復方法についての言及においても、解体をおこなわずに修復するための技法が強調されており、むしろ近代以前の伝統的手法を正当に受け継いでいるように感じられる。戦後になって西洋的な考え方を本格導入した中国においては、様式的修復が批判されてから以降の考え方が導入されていったために、我彼の差異が生じたのだと考えられる。以上の考察から、木造建築の根本修理手法としての解体修理は、近代的な思考のなかで評価を異にするに至ったのだと結論付けられる。
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