培養細胞を用い、ヒ素化合物による癌化メカニズムのin vitroにおける解明を試みた。 ラット正常肝細胞を用いて、無機ヒ素及びそのヒトでの最終メチル化代謝産物dimethylarsinic acid (DMA)を高濃度で短期間(急性毒性)、或いは低濃度で長期間(慢性毒性)細胞に暴露し、その細胞毒性(細胞死の誘導、癌化)を観察した。その結果、無機ヒ素はμMレベルで細胞に強い急性毒性を示し、無機ヒ素の暴露後48時間以内にほぼ100%の細胞に壊死が誘導され、細胞内還元型glutathione (GSH)はこの毒性に対し防御的に働いた。低濃度(nMレベル)の無機ヒ素による長期間暴露の場合は、暴露後10週間程度で全ての細胞は壊死により死滅し、ここでも細胞内GSHは防御的に働いた。一方、DMAはmMレベルで弱い急性毒性を示したが、無機ヒ素の場合とは異なり、アポトーシスを100%誘導した。このアポトーシス誘導には細胞内GSHの存在が必須であった。μMレベルのDMAの長期間暴露は、細胞のGSH濃度やglutathione-S-transferase活性を上昇させ、結果的にヒ素化合物(無機ヒ素に対してもDMAに対しても)に対する耐性を獲得させたが、癌化は観られなかった。細胞内GSHを薬剤で涸渇化させてμMレベルのDMAを長期間暴露させた系では、細胞内へのDMAの蓄積が観察され、多数の異形細胞が出現した。まだデータ数は少ないが、ヒト肺胞上皮細胞を用いた実験でもほぼ同様の結果が得られた。以上より、今回の実験系では、無機ヒ素による細胞癌化の可能性は示されなかったが、その代謝産物であるDMAでは、細胞内GSHが低下した場合に細胞が異形化する可能性が示唆された。しかし、DMAの長期暴露実験を20週間以上継続しても、どの条件下でも明確な細胞癌化は起こらず、癌化には他の要因の存在が示唆された。
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