本研究は、1)看護学生と新人看護師の学習/看護経験の語りとフィールドワークを通して、実践的な知とその知が生成される過程を探究すること、2)実践知の探究方法自体を検討することを目指した。1)看護学生が看護者としての実践的な知を身につけていく過程において、その学習は大学の講義や実習に限定されるものではないことが見えてきた。例えばAさんは、実習中に病棟のある患者と家族が寄り添う姿を垣間見る中で、祖父を亡くした家族としての経験を想起した。その想起は、祖父を見舞ったときに経験した過去の自分と実習で出会った家族の気持ちとを交差させ、そこに他者の気持ちを「分かる」という感覚を生み出していた。他方でAさんは、ある実習で経験した患者の「傍にいる」という経験を、別の実習で受け持ち患者と関わる中で、このことがいかに患者との関係を深めているのかを実感し、それを語りだす中で、患者の「傍らにいること」に新たな意味づけをしていた。このように、経験とその意味づけは、過去の経験を今ここでの経験の中で更新させつつ行っていた。つまり実践という行為的な経験は、それと関連した行為によって呼び覚まされ、その行為の中で意味づけられ、新たな知として身につけられていくようであった。この行為を介した想起、経験の更新、行為のされ方は、これを繰り返す中で、そのつどの状況により適した仕方で実践できるようになっていった。本研究では、こうした実践を具体的に記述し、行為的な知である実践知のかたちを検討した。2)カナダのエドモントンで行われたThinking Qualitativelyに参加し、質的な研究方法の現状と可能性について議論を行ってきた。その議論と本調査を通して、実践知の探究は、研究者自身も探究している看護実践に積極的に参加し、その実践について積極的な対話ないし議論をする中で、少しずつその輪郭を現してくる可能性があると考えた。
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