東海村およびその近隣は原子力問題の象徴的な地域である。1999年9月30日におきた東海村に位置する原子力施設での臨界事故以降、それまで原子力発電所や研究機関など大規模原子力施設が原子力事故の起こりうる場所と認識されてきたのに対し、生活空間に融和した場所でも起こりうることが認知されている。つまりこの地域では原子力施設や原子力事故が自動車や自動車事故と同じように生活の中の一場面となっていると思われる。本研究の目的はこのように原子力施設が生活に内在された地域における住民の原子力、あるいは原子力施設に対する意識を明らかにしようとするものであった。 この目的のためまず先行研究の調査を行った。従来、原子力間題についての研究の多くは反または脱原子力の文脈で語られているものが多いことがわかった。そしてこれらの研究の多くは外部的な視点で論じられており、地域に在勤する報告者の私が日常、見聞きする言説から違和感を感じるものが多かった。 確かに私自身もこの瞬間、大規模事故がおきれば生命の危機に直面することは間違いないだろう。その意味では多くの先行研究が指摘するように住民の一人として「不安」である。しかしその不安は外部から質問されて自覚化される不安である。このような私自身の自覚が、通常なものかどうかを日常生活における地域住民とのコミュニケーション(会話)から確認する作業を実施した。その結果、同様な意識でいるものが少なくないことがわかった。 先行研究が示す結果との違和感は原子力が外在的に存在するため、原子力施設が非日常的なものとして捉えているものと、日常化され無自覚になっているものとの相異ではないかと考えられる。(704字)
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