本研究では、ここ数年来に手がけた纏足廃止運動や国家政策や家庭のあり方と密接に関係し、当時としては欧米からアジアへと、グローバルな広がりをみせつつあった優生思想についての研究をもとに、中国の国民国家形成期、とりわけ亡国への危機意識から社会進化論的世界を呈した清末・民国前半(19世紀末から1930年代あたりまで)において、民族主義の形成と呼応しながら、身体がどのように意識され、鍛錬され、個体の身体にとどまらない、生殖に対する管理(産児制限など)にまで及んだのか、つまりは身体の国民化がどのようになされたのかを、おもに儒教的な賤工思想や家父長制度への対抗的新言説として新メディアにのった多彩なテクストにおける表象に注目し、ジェンダーという観点を中心にすえて分析をおこなった。中国女性の身体には、たとえば当時、植民地から宗主国への便りとして流行し、中国からも欧米や日本に多く投函された、絵はがきの絵柄に端的にみられるような、欧米や日本からはオリエンタリズムというべき視線が注がれていたし、それを内在化した中国の新しい知識人、とりわ男性(男性の社会であった公的領域に踏み出しえた一部の女性も含むが)によるそのまなざしが、たとえば朝鮮などに対してと同様、向けられる。そのすべてが、しばりを解くという身体レベルで幅のある時間を要した纏足女性を中国の「遅れの象徴」として代表性をおしつけることになった問題点を、図像分析の手法もとりいれて指摘した。
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